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お久しぶりでございます。
ぼんびぃ森沢です。
一年半ほどこちらの書き込みはしていないので、ほぼ読者の方はいないであろうとの判断のもと、今回の書き込みは行います。
大してフォロワーもおりませんし、本当は、Twitterの書き込みでもよかったのだけど、万一、他の方にご迷惑をおかけしてしまうと申し訳ありませんので、こちらで書きます。
そのような方はいないでしょうが、今回の内容については拡散不要ですし、ここだけでクローズさせていただきたいと思います。
ちょうど昨日、小金井のライブ会場で刺されたアイドルが回復されたとのことで、基本的に大変良かったと思うわけではありますが、どこぞの書き込みにもありましたが、その反面、本人に犯人の記憶が一生植え付けられてしまったことは、ある意味まさに犯人の願った通りになってしまった訳で、彼女の心の傷、実際の体についてしまった傷、その両方を一生抱えて今後生きてゆかねばならない現実は、個人的にはなんともやりきれない気持ちです。
先日、DivAEffectProject に参加している、「りせちー」こと山園梨世ちゃんと、たまたま話をする機会があったのですが、もちろんあの事件程ではないにしろ、彼女にも少なからず「ヤバイ!」と思う事案がいくつかあったとのこと。彼女自身、今後Youtubeなどを中心とした活動に、シフトしてゆくことも考えているとのこと。それ以外にも、結構な時間お話をさせていただいて、まぁ、いろいろと (^_^; あるようですが、とにもかくにも「りせちー、これからも頑張れ!!」。というわけで、りせちーを知らん奴は、取り敢えず「山園梨世」でググれ。
で、ここからはじじぃの独り言です。
昨今、ネットやらSNSやらの発達も手伝ってか、アイドルと呼ばれる存在が以前よりずいぶん身近になったように錯覚をされている御仁が大勢おられるように感じます。
これについては、私は秋元さんにも結構な責任があるのではないかと感じておるのですが、当初のAKBのコンセプト「会いに行けるアイドル」自体を否定するつもりはさらさらないですけど、あの悪名高い握手券商法などの結果、自分が推すアイドルへの応援の度合いを購入したCD枚数やつぎ込んだ金額といった尺度で図るような輩が増えてしまった気がします。
でも、たとえ100万円分のCDを買ったとしても、ほとんどは、プロダクションやレコード会社へ持って行かれてしまい、アイドルへの貢献なんて正直言って、屁みたいなもので、本人的には1人に1000枚CDを買ってもらうより、CDを買ってくれないでいいからレンタルで1000人に自分の歌を聴いてもらったほうがはるかにましだ。
SNSで返事をくれなかったから嫌がらせをする、自分以外の相手には、ハートマーク付きのリプを返したくせに、自分にはハートマークがなかったから、他のファンの投稿を邪魔する、アイドルを脅迫する。正直、お前ら阿保かと言いたくなる。そもそも、返信があるだけで超ラッキーだとなんで思えないのか。昔々は、SNSなんてものはあるはずもなく、アイドルを直接見に行く以外はファンレターを出すぐらいしか接点を作りえなかった。当時は、みんな返事なんて期待しないで出していたもんだ。
昔、WANDSというバンドがいたのをご存じだろうか。30代後半から40代の方なら知らない人はあまりいないだろうけど、ゴールデンディスク大賞も受賞したことのある、当時では大そうなビックネームだ。
その当時、WANDSでキーボードをしていた木村真也さんとたまたま知り合う機会があって、ちょうど、第二期と第三期の活動の狭間の時期に、祐天寺にあったお住まいに何度か遊びに行ったことがあるのですが(一緒に新宿のイエローサブマリンにも行った(笑))、その時、彼もこう話していたのをよく覚えている。「ファンレターはできるだけ読むようにはしているけれど、全員に返事ができるわけではないし、誰かに出して、誰かには出さないとなると不公平にもなるから、よほどの事情がない限り返事は出さない。」と。木村さんは律儀な人で、ファンレターは本当に読んでいたし、自宅にもファンからのプレゼントらしきハンドメイドの人形なんかも置いてあった。
WANDSは、大きな箱でコンサートを行わなかった(コンサート自体もあまり行わなかった)が、それはメンバーがみんなライブをするよりもスタジオで楽曲を作っていたほうがいい口だったから。ほかのバンドならツアーの最終日にスタッフと打ち上げくらいしそうなものだが、WANDSは、打ち上げもなしに早々にみんな帰ってしまったとか。また、コンサートで乗ってきた木村さんがヘドバンをしながら演奏をしたところ、後日、小学生のファンからの手紙に「突然、頭を振り出したので、木村さんが狂ってしまったのかと思いました。」と書かれて脱力してしまったした話などいろいろと裏話を聞かせてもらいました。
推しアイドルを一生懸命応援する。何枚もCDを買う。毎回イベントに行く。ツイートに毎回リプをする。それは結構なことなのだが、アイドルに対してその見返りを求めちゃいけない。
で、2ndDivAのCDが6/22に全国発売される。前出の「りせちー」のソロも1曲入っているから、わしもCDを買おうと思っている。。。。。もちろん、1枚ね。彼女の元気な歌声がきければそれ以上の見返りなんて一切不要だ。
でも、ひとつだけ我儘を言わせてもらえるとしたら、いつかまた、りせちーの歌う「初恋サイダー」を聴きたいものだ。(鳥肌ものだぞ)
昨日、twitterにも少々書いたが、新宿で行われた9.11脱原発デモについて率直な感想を書く。
夕方、ゴールである新宿中央公園近くにある仕事場から、デモの様子を眺めていたが、正直逮捕者が出たのは仕方のない気がする。
それほど、一部のデモ隊は統率が取れておらず荒れていた。
それはまるでガキの頃に見た、成田闘争のデモから統率を無くしたかの様だった。
デモ参加者の中には、これを否定する人もいるかもしれない。それはそれで結構だが、はっきり言える事は、デモ隊と一緒に移動していたわけではないので、私はデモ隊の先頭から終わりまで全体を、ビルの3階という定点からじっくり観察することができた、その一個人の感想ということだ。
たしかに、大部分の人たちは整然とデモ行進を行っていたように見えた。
だが、一部デモ参加者は禁止されている歩道を悠然と歩き、一般歩行者の通行の妨げになっていた。
警察からは、再三車道に戻るようにアナウンスがされていたが、聞く耳持たずといった感じだった。
主催者が何人のデモ行進参加者を見込んでいたのかは知らんが、想定以上に多かったということだろうか。
スタート地点から見ていたわけではないので、ゴール近くに至るまでの公安当局との事の経緯は判らん。
だが、統制のとれなくなったデモは、単なる馬鹿騒ぎであり、一歩間違えば暴徒ともなりうる。
あの一部の荒れたデモ隊の横で「原発賛成!」と声高に叫んだら人がいたら、きっと、デモ隊に囲まれボコボコにされた事だろう。
柄谷君がアルタ前での演説で、「「デモで社会を変えられるか」、という質問を受ける。私は「絶対に変えられる」と答えます。なぜなら「デモができる社会ができる」からです。」とい趣旨の内容をアジっていたようだ。
「デモができる社会ができる」については、個人的に全く異存はない。だが、柄谷君のいうところの「原発とともに資本主義を廃絶しよう」という、旧態依然としたマルキシズム、アナーキ主義、脱原発に便乗した階級闘争的な思考が「デモができる社会」に結びつくとは到底思えない。
Twitterには、こんな書き込みもあった。
「そうそう昨日のデモで「日大全共闘」のノボリ旗があった。お話をうかがったら「若い人が動いているので、自分らも何かしたい」と。やっぱこうでなくっちゃ! 」
はぁ・・・・日大の全共闘って、安田講堂立てこもりの主力じゃなかったか?
で、何がこうでなくちゃなんだ?いったい昨日のデモは何のためのデモなんだよ。
自分も原発は無い方がいいと思う。仮に、原発を止める事で電気料金が2倍に跳ね上がっても結構だ。だが、はたして参加者の何割が、純粋に原発に反対をするためにデモに参加した、所謂「ごくごく一般の市民」だったのだろうか?
そして何より、あのデモ隊に自分が最も感じた違和感は、震災後ちょうど半年にあたり、被災地域では厳かに犠牲者への追悼が執り行われていたその日に、大音量でロックを流し、様々な楽器でドンチャン騒ぎ立て、一部では仮装をしながら「原発いらねぇ」を絶叫して警官隊と揉みあう連中の、あの無神経さだった。
東日本大震災から、今日で半年が経過した。
被災地域の方々は、今もなお不便な生活を強いられていること思います。
8月、茨城へ行った際にも震災の爪痕は、まだ目に見えて判るものでした。
幹線道路の傾いた電柱。
傾きがかなりひどいものは、修復されたようですが、影響のない程度の傾きのものは、そのまま放置されているようです。きっと全部に対応していたら、時間もお金も足りないのでしょう。
ビニールシートが被されたままの家々の屋根。
この状態の家がまだたくさんありました。
話によると、屋根瓦の生産が追い付かず、また、出来あがっても被害の大きかった東北3県に優先して回されているようで、欲しくてもなかなか手に入らないようです。
明らかに地盤沈下が招いたと思われる、道路の歪み、家の傾き・・・
車で走っていても、道がゆがんでいるのが判りました。
また、地元の車はどこに歪があるか良く判っているので、その近くに来るとスピードを落としていました。
知らずにそのままのスピードで突っ込むと、車がジャンプしてお尻をシコタマ打ちました。
夕食を食べた「スシロー」は地盤沈下の影響で幹線道路側の入り口が利用できずに、裏道に回って駐車場に入りました。
また、一目見て傾いているのが、はっきりと判る家も結構ありました。
もちろん、福一の事故の影響もかなりあったようで、県内の海水浴客の減少は関係者にとっては悲惨といえるほど。
一番減少の少なかった、千葉との県境にある波崎海水浴場ですら、前年比57%減というのだから、より福島に近い地域は推して知るべしだ。
また、福一の問題は、我が家にも大きな影響を与えている。
ホットスポットと呼ばれている、千葉の柏や松戸ほどではないにしても、東京でも東の端に位置する我が家周辺の放射能量は、都内では屈指の高さだ。
野田市が0.19マイクロシーベルト/時以下という基準を設けていたが、「測ってガイガー!」で確認すると、我が家周辺は、おおむね0.25~0.3マイクロシーベルトという計測結果が出ている。ちなみに隅田川より西(都心に近い地域)では、ほとんどの計測値が0.19以下で収まっている。福島の人たちには、「その程度の値で四の五の言うな」と怒られそうだが、小さい子供を持つ身としては心配の種の一つだ。今後、徐々に線量が減るとしても、0.19以下になるのに、あと何年かかる事やら。
昨今、巷を騒がせている毒入り餃子の事件だが、日本に限らず先進国の多くが中国への依存を高かめている今、根本的な問題解決は一筋縄ではいかないだろう。